【自己紹介3】「東京知らずして日本を語るな」という親に育てられた結果。

今思うと、本当にヘンテコな両親だった。「18歳で家を出るんだぞ」と育てられ出て行ったら、数年後は「いつ戻ってくるんだ」と本気で怒ってくる。

はぁ?と思ったけど、親も親でまた愛らしかった。

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生まれは、瀬戸内海に面した小さな街。南の海側には石油化学コンビナートがあって、夜になるとその夜景が煌々と光り、高くも低くもない山が北側に聳える。

夫:山口県周南市出身

妻:山口県周南市出身 ※旧名徳山市(とくやまし)

私たち夫婦共、生まれも育ちも山口県。両親二人とも山口出身のネコ旦那は、生粋の山口っ子で三兄弟の長男。大学進学で九州福岡へ行くまではあまり地元を出ず、進学をきっかけに就職や転勤、転職で関西や中国地方へ移動した。

一方、妻の両親は二人共田舎から出て東京で出逢っていた。母が鹿児島、父が山口。山口は父の地元で、ある時、父曰くお祖父ちゃんに「戻って来い」と言われ、渋々東京から引き上げたらしい。その時、連れ帰ったのが薩摩オコジョの母だった。

↑地元、山陽本線の徳山駅 

「あなたは18歳になったら、東京へ行くのよ」

「そこで一人暮らしをして、ちゃんと“日本”を見てきなさい」

幼い頃から両親共から同じことを言われ続けた。二人は山口県で二人娘を授かり、良いタイミングで東京へ戻るはずが、商売が軌道に乗ったのをきっかけに(娘の推測だけど)地元を離れられなくなった。

その代わり、娘には「東京に行けば全国各地の人に会えて価値観や視野が広がること」をコンコンと伝え育てた。が、しかし長女はそんな教えを聞きつつも、当時つき合っていた彼と同じ地域、関西へと進学を決めてしまう。

結局、私は一度も東京に住んだことはない。

両親よ、ごめんなさい。(「大阪の人はなぁ…」という口癖)両親があまりよく思っていなかった?関西に長くの間、お世話になりました。

良かったのは、6個下の妹は東京の大学へ進学した為、4年間はバッチリの東京人になることができた。

両親が東京にいた頃は、高度経済成長の時代、日本が国として本当に盛り上がっていたときで、寅さんや釣りバカなど当時の映画を観ていても本当にいい時代だったんだろうなぁ、と当時を振り返ると(住んだこともないのに何故か)懐かしい。

ちなみに、妹はその後、長野県へと移り住み、今はカナダバンクーバーの方で暮らしている。まさに、両親の「もっと広い視野で物事をみろ」の教えを体現しているかもしれない。

↑妹から送られてきたカナダ飯(プーティンというらしい)

関西に初めて上陸した10代末、最初は“いじり”の文化に慣れなくて、何度も泣きたくなったけど、総計10年以上住んでいると、彼らの優しさが今ならわかる気がする。

住むのも見るのも感じるのも、一ところでない方がいい。色んなものに触れて、色んな価値観や文化を体験した方がいい。

お父さん、要はそういうこと言いたかったのかな。今日は【生まれ】についての振り返り。

いつか生プーティン食べてみたい…!

お読み頂きありがとうございました。

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